1983年東京生まれ。生まれてひと月程してすぐ家族と埼玉へ。いわゆる○○ニュータウンと呼ばれるような集合団地で20代前半までを過ごす。その後は東京・再び埼玉・そして新潟で暮らした後、現在は自然の多い栃木県鹿沼市の山裾で暮らしている。
母が写真好きだったため幼少期からカメラや現像されたフィルムとプリントされた写真たちが実家にはたくさんあった。その影響もあって10代後半の頃は母の一眼レフを借りて写真を撮りに行くこともあったが、その頃は写真よりも映像の方に関心があって写真にのめり込みはしなかった。
2021年の後半に母が急に肉体を去った。もっと母と過ごしたかった思いと共に大きな喪失感がやってきた。そんな中母の遺品整理をしているとそこには母自身が撮った写真や、母が仲のいい友人たちと過ごしていた記録の写真がたくさんあった。
僕ら家族の前では母としての顔を見せていた彼女だが、そこには母という役割を脱いで一人の女性として過ごした僕の知らない母のたくさんの美しい瞬間が収められていた。
救われた。
『母の人生にはこんなにもたくさんの美しい瞬間があったんだ。』
写真によるたくさんの記録のおかげで僕の心は癒され、救われた。写真があって本当に良かった。
母が肉体を去ってから少しすると何故だか自分自身が写真をとりたい感覚が強くやってくるようになった。その感覚に従い学生の頃からすると約20年ぶりにカメラを手にとり写真を撮るようになった。
その頃カメラを手にとってファインダーを覗いたときに驚いたことがあった。それは40年近くも自分のマインド(心)と付き合っていると、知らず知らずのうちにそれと同化してしまって本来の真っさらな心の状態を忘れていたことに気がついたことだった。
カメラのファインダーを覗いて目の前の世界を観たときに、それなしでは自分のマインド(心)でジャッジして美しくないと思い込んで切り捨てた光景が、そうではなくただただユニークで美しい光景に感じられた。
世界は自分のマインド(心)が思い込んだ『こうあるべき』なんて条件付けや『こうあってほしい』なんて願いの枠を超えた多様性で溢れいていいじゃないか。そう思えた。
僕は自分が美しいと感じた瞬間にただシャッターを切る。瞬間、瞬間、ただただ自分自身に素直に。そうして収められた写真を見ていると実は自分自身が癒やされているように感じている。
きっと僕はこの世界の美しい瞬間を写真に収めることで自分自身を癒しているのだと思う。その裏にはさっき書いたこととは反対の『世界はこうあってほしい』という願いが実はどこかにあって、そうではないことに傷ついている自分の何かを慰めているのではないかと感じている。
僕は写真を撮ることは自分自身を知る(観る)ためのとても優れた手段だと感じている。撮った写真を見返すことで自分自身が何を求めているのかを確認させられる。逆にあてもなく彷徨っていることを確認させられることもある。
そして撮っている最中、その瞬間々々の自分の在り様にも自分を観させられる。緊張しているのか、それとも自分自身に寛いでいるのか。被写体の魅力を引き出そうと意図的に撮ろうとしているのか、それとも被写体に魅了されて陶酔して撮らされているのか。
また時にシャッターを切ることは勇気が要ることがある。肚にいないと写真を撮ることができないのだ。そうした瞬間にも自分の在り様を観させられる。しっかり向き合ったのか、向き合えずに逃げたのか、それとも敢えて見逃したのか。
写真は今の自分を知る(観る)のに相応しい術だ。ファインダーから外の世界を見ているようだが、実はそこに写されるのは自分の在り様だ。自分自身がそこに写る。
僕は写真を自分自身の在り様を見つめる術として使っている。そうすることで自分自身をより知ることができるから。これからも写真という術を使って美しいと感じる瞬間を収めながら自分自身を知る探求を深めていきたいと感じている。
PJ Horiguchi
写真展
2024年12月 グループ展『バルナック・ライカ展』東京 HuBase
2024年8月 グループ展『ただ、そこにいる。』東京 HuBase
2024年7月 日本文藝主催『The Monochrome 2024』3作品出展 東京 ギャラリー2/東京芸術劇場
2024年5月 個展『People』東京 HuBase
2024年2月 グループ展『monochome』東京 HuBase
2023年8月 グループ展『color』東京 HuBase
2023年7月 グループ展『Leicaに恋して。コミュニティ写真展』東京 JCAギャラリー
2023年5月 グループ展『雨』東京 HuBase